profile

谷 益美

谷 益美

コーチ・ファシリテーター /
株式会社ONDO代表

  • 早稲田大学ビジネススクール(MBA)「ビジネスコーチング」非常勤講師
  • 早稲田大学大学院基幹理工学研究科
  • 「博士実践特論A:イノベーションリーダーシップ」非常勤講師
  • NPO法人国際コーチ連盟日本支部顧問
  • NPO法人日本コーチ協会四国チャプター相談役
  • 生涯学習開発財団 認定プロフェッショナルコーチ

谷 益美

谷 益美

谷 益美

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小学生時代

人間関係とコミュニケーション

人間関係とコミュニケーション

「好きな子同士で班になっていいよ」
先生のこの台詞を聞いてわーっと集まる子供たち。どこの班にも入れてもらえず、1人ぽつんと残る私。

同級生の誕生会。誘って良かったと思ってもらえるよう、カメラを向けられると1人おどける私。
完全に、空気読み違えています。

小学生時代の私は友達づくりの非常にへたくそな、しかし、自己主張の激しい子供だったと記憶しています。人間関係を意識し出したこの頃。同時に、「どうしたらうまくいくのか」とコミュニケーションに関する模索を始めたのもこの頃です。

中学時代

ピーマン(パラダイム)シフト

ピーマン(パラダイム)シフト

今では好き嫌いなく、何でも食べられる私ですが、子供時代はめちゃめちゃ偏食でした。特にピーマンが嫌いで、美味しく食べる人たちが理解できなかったものです。

「私はマズいと思うピーマンを、どうして美味しそうに食べる人たちがいるんだろう?」

ピーマンという1つの野菜の味は同じはずなのに、人によって評価が違う。もしかして、私がマズいと思い込んでるだけ?そんな疑問から、えいやと勇気を出してピーマンを味わってみると、フツーに食べられるじゃありませんか!この日を境に、私の好き嫌いは無くなり、何でも食べられるように。

人って違うんだ、自分の勝手な思い込みってあるんだと理解した10代前半の出来事でした。この体験は強烈で、その後の私の価値観や人間観に大きな影響を与え続けています。

10代後半から20代前半

キャリアドリフトの時代

キャリアドリフトの時代

「益美ちゃんは先生に向いとる」
と言われ、その気になって教育学部専攻。入学してからようやく、「学生から教員へ」ストレートになることへの疑問と採用試験の狭き門を知り、就職活動スタート。やりたいこともなかったし、ただ、事務職は無理だと思っていたので営業職に。興味が沸いた色んな業種を受けました。

一番内定が早かった仕事になんとなく決め、働き始めて3年目。人生にも悩み始めたこの頃、唐突に「社会人に卒業ってないんだ!」と気付きました。当たり前っちゃ当たり前なのですが、基本バイトも部活も辞めたことがなかった私にとって、卒業以外の理由で何かを辞める決断をするというのは、とてつもなく大きなことでした。

それからの2年間、初めて自分で自分の行き先を決める「シフト」の時代を過ごした後、ワーキングホリデービザでオーストラリアへと。26歳の春でした。

20代後半から30代前半

ありがとう、と、おかげさま

ありがとう、と、おかげさま

ありがとう、と、おかげさま

オーストラリアで「人生って有限」と実感し、特許翻訳家になろうと決意して帰国。自分にデスクワークは無理だと悟るのに、そう時間は必要ありませんでした。
改めて、人生の進路を考えた時、出会ったのがコーチングです。「なになに、人の話を聞くだけで稼げる?」とヨコシマな動機で学び始めたのもつかの間、その面白さにハマりました。これまでの自分の体験からの学びが、面白い程に理論化されている。これをしっかり身につけて、いつか自分も独立したいと思い始めると、なぜか周りに環境が整ってゆきます。

多くの出会い、学び、チャンス、色んなものに「流されて」独立。小さい頃、友達づくりで悩んでいた私がコミュニケーションの領域でまさか起業するとは夢にも思っていませんでした。これも出会って支えて学びをくれた、たくさんの方々のお陰。感謝の一言しかありません。

現在

コミュニケーション職人として

コミュニケーション職人として

自分の職業を語る時、専門家という言葉がどうもしっくり来ません。
次から次へと知らないこと、分からないことが出て来るし、私は一体何者なのかと模索する中、ふと「職人」という言葉が浮かびました。

自分の対話を振り返り、場づくりのプロセスを磨き上げ、次にはもっと良いものをと考える。職人としての私は、自らを磨く修行をこれからも続けたいと願っています。
仕事も子育ても、全てが修行の場。家族や色んな仲間と共に、日々の修行は続いています。

おまけ

おまけ

 

いろんなご縁がつながって、地元求人誌にイラストコラムを寄稿していました。ここに掲載しているイラストは、当時の挿絵です。 この仕事がきっかけとなり、早稲田大学ビジネススクール教授杉浦正和先生のご著書「つまるところ人と組織だと思うあなたへ(同友館)」の挿絵を任され、自著の挿絵やウェブでのコラム連載など、イラストレーターとしての仕事もいただくようになりました。

「オタク部だ」と後ろ指を指された漫画研究部所属の高校生時代。その時の体験が、20年の時を経て、まさかこうして花開くとは。ほんと、人生に無駄な体験なんて1つも無いと思うのです。